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泥沼通信

祭りの戦士 @ กลับมาจากกรุงเทพฯ

 

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メモ 「ディオニュソス的世界観」と「バッカス的世界観」 谷本愼介

 『悲劇の誕生』において、「ディオニュソス的世界観」という表現はただ一度、第17節中で使われる。「形象と神話として姿を現そうと激しくあがく音楽の精神は、抒情詩に端を発し、アッティカ悲劇に至るまでしだいに高まっていくが、ようやく豊かな展開を遂げたかと思うと、突如、中断する。そしてギリシャ芸術の表面から姿を消す。しかしこうしたあがきの中から誕生したディオニュソス的世界観は、その後も密議秘祭の中に生き続け、絶妙な転身と変質を遂げつつ、真摯な心の持ち主を魅惑し続けた。このようなディオニュソス的世界観がいつか再び、神秘な深みの中から、芸術として浮かび上がってくることはないのだろうか?」本書が芸術原理の 2 本柱として位置づけたのはディオニュソス的なものとアポロン的なものだが、世界観の根幹をなすのはディオニュソスだけであり、アポロンは問題視されなかった。要するに「音楽の精神」を体現するのがディオニュソスであり、この酒と陶酔の神に基づく世界観が「ディオニュソス的世界観」と定義された。古代ギリシャ人はこの世界観の信奉者だったが、エウリピデスとソクラテスによって葬り去られ、かろうじて密議秘祭の中で身を潜めて生き続けてきたが、ようやく近代ドイツにおいて、要するにワーグナーによって再び蘇ろうとしている。以上が本書の主旨である。事実の積み重ねによる実証を無視した、はなはだ刺激的な仮説だが、仮説を成り立たせるキーワードが「ディオニュソス的世界観」だった。しかしこの世界観はニーチェのオリジナルだと断定できるだろうか。
 当時ニーチェが暮らしていたバーゼルは、ワーグナーが邸を構えていたルツェルン近郊のトリープシェンとは百キロ弱の距離にあって、ニーチェは足繁くトリープシェンに通い、そこのワーグナー邸にはニーチェ専用の部屋まで用意されていた。一方バーゼルには〈バーゼル・サークル〉ともいうべき、歴史学の大家ブルクハルトを中心とした知識人のサークルがあって、無名の古典文献学者ニーチェもそのサークルの一員としてメンバーとの親交を深めた。このサークルに在野の法学者バッハオーフェンがいた。バッハオーフェンは1859年に『古代人の墓碑象徴に関する試論』、1861年に『母権制』を公刊していたが、いずれも私家版であり、ニーチェが知り合った当時は無名に近かった。ニーチェはバッハオーフェンの両著作を間違いなく精読していて、とりわけ前者は『悲劇の誕生』執筆のために大きなヒントを与えただろうと推測される。バッハオーフェンの『古代人の墓碑象徴に関する試論』の中に「バッカス的世界観」という表現が登場する。

 プロテシラオスはトロイア戦争で最初に戦死を遂げ、ラオダメイの愛によって 3 時間だけ冥府から解放されたが、死者たちの案内役にして現世と冥界の仲介者ヘルメスは、冷酷な掟に従って、たちまち彼を冥府に連れ戻した。この神話の理念は、バッカス的世界観と完全に一致する。プロテシラオスの運命は、たちまち入れ替わる生と死、生成と死滅の永遠のくり返し、白と黒の結合という、肉体をもって生み出されたものに課せられた根本的掟をじつに鮮やかに描き出している。


 ニーチェが「ディオニュソス的世界観 Die dionysische Weltanschauung」を世に問う10年以上も前に、バッハオーフェンは「バッカス的世界観 Die bacchische Weltanschauung」を提起していた。バッカスとディオニュソスが同一の神を指すことはいうまでもない。もしもバッハオーフェンが先に「ディオニュソス的世界観」と言っていたら、ニーチェは「バッカス的世界観」を世に問うていただろう。バッハオーフェン以前に「バッカス的世界観」という表現を使った者は存在しない。目下ドイツで刊行中の『ニーチェ辞典』は、「ディオニュソス的・アポロン的」の項目で、ニーチェ以前にこの 2 語が用いられた系譜を30ページ以上にわたって詳述しているが、バッハオーフェンの「バッカス的世界観」にはまったく触れていない。
 問題は用語の異なる 2 つの世界観の内実の比較だが、バッハオーフェンが記す「生と死、生成と死滅、白と黒」の二項対立は、ニーチェが『悲劇の誕生』で取り上げた英雄たちの運命と重なる。バッハオーフェンはプロテシラオスを例に挙げたが、ニーチェはアキレウスを取り上げて、短命の英雄アキレウスが日雇い人夫に身を落としてでも現世に戻りたいと願う気持ちからギリシャ人のオプティミズムを読み解いた。悲劇の英雄たちは一様に滅び去るが、悲劇の本来の主人公はディオニュソスただ一人であり、オイディプスもプロメテウスもすべての悲劇の主人公は「ディオニュソスの仮面」だとニーチェは主張した。つまり英雄たちが「生成と死滅」をくり返す根底には、永遠に生き続けるディオニュソスが存在する。要するに英雄たちが「生成と死滅」をくり返す世界こそが「バッカス的世界観」および「ディオニュソス的世界観」の展開する世界そのものに他ならず、両者にはなんの相違も認められない。
 ニーチェは世界の根底に「永遠に苦悩するもの」としての「根源=一者」を見たが、バッハオーフェンも同様の苦悩を、アリストテレスの『形而上学』を引用して描き出した。「この世のすべては悲哀なのだ。私たちは苦悩から解き放たれることはない。苦しみの生よりも甘味な世界は、死すべきものの目には雲の覆う闇に閉ざされて見透せない。」 ニーチェがディオニュソスの従者シレノスに吐かせた究極のペシミズムのことばを、バッハオーフェンもちゃんと書き記していた。両者を貫く原点がショーペンハウアーのペシミズムだった。
「ディオニュソス的世界観」というキーワードがバッハオーフェンの「バッカス的世界観」からの借用であることは明白だが、本論の内容面でもニーチェはバッハオーフェンに負っていることが伺える。そもそも「ディオニュソス的世界観」という用語はニーチェが『悲劇の誕生』のために書いた予備論文のタイトルだった。1870年のクリスマスに、ニーチェはワーグナーの妻コージマへのプレゼントとして、「ディオニュソス的世界観」と「悲劇的思想の誕生」という 2 つの論文を捧げた。両論文は私家版だが、ともに『悲劇の誕生』の予備論文となったもので、特に「ディオニュソス的世界観」は『悲劇の誕生』の冒頭部分の原型となった。「ディオニュソス的世界観」の最初の一文は以下のとおりである。「ギリシャ人は世界観の秘教をみずからの神々によって語り、同時に沈黙したが、彼らは芸術の二重の源泉として、アポロンとディオニュソスという神を打ち立てた。」 これは明らかに『悲劇の誕生』の冒頭の下敷きとなっている。予備論文ではその後、ディオニュソス的芸術に宿る力について言及される。

 ディオニュソス的芸術は、これに対して、陶酔と恍惚の戯れに基づいている。素朴な自然人を陶酔という忘我の境地に高めるのは、春の衝動と麻酔性の飲み物という 2 つの力である。この 2 つの力はディオニュソスの姿に象徴されている。個体化の原理 (Das principiumindividuationis) はこの 2 つの力によって打ち破られ、主観的なものは噴出する人間一般の力、いやそれどころか普遍自然の力のまえに消失する。ディオニュソス祭は人間と人間を結び合わせるばかりか、人間と自然も融和させる。奴隷は自由人となり、貴族と卑しい生まれの者は一体となって、バッカス自身のコーラスとなる。......類似のディオニュソス祭は太古からあらゆる場所で行われていたことが立証できるが、もっとも有名なのはバビロンのサカイア人の祭りである。



 この箇所は明らかにバッハオーフェンの『古代人の墓碑象徴に関する試論』の叙述を踏まえている。該当箇所は以下のとおりである。

 国家や市民という観点が至るところで民族や個人を隔てる垣根を築き上げ、個体化の原理(Das Prinzip der Individualität) を極限的なエゴイズムにまで押し進めるのに対して、ディオニュソスはすべてを一体化し、すべてを平和と原初の生への愛に回帰させる。奴隷も自由人も平等にディオニュソスの秘儀に与ることができた。......ディオニュソスはいっさいの差別を廃棄し、動物どうしの争いさえも終わらせ、被造物の世界に再びあの平和、歓喜、普遍的平等をもたらす。この普遍的平等は、近代人にとって原初の黄金時代のことであり、サトゥルヌス祭や、......サカイア人の祭りにおいて一時的にせよ現出した。葡萄酒と人間に及ぼす酒の力は、ディオニュソスの本性のこのような側面が如実に表れた。



 ニーチェは芸術を論じ、バッハオーフェンは歴史と社会を論じているが、「個体化の原理」というショーペンハウアー哲学の用語をキーワードとして、ともにディオニュソス的なものに宿る普遍的力を強調している。ディオニュソス的魔力が発揮された具体例としてバビロンのサカイア人の祭りが挙げられる点も、とても偶然とは思われない。
 バッハオーフェンの叙述をニーチェが下敷きにしているのは明白だが、「個体化の原理」という用語をバッハオーフェンは元のラテン語からドイツ語に訳して用いているのに対して、ニーチェはそれを元のラテン語に戻した。しかし微妙な用語の変更は認められるにしろ、ディオニュソスの魔力が「個体化の原理」を破棄して人間どうしの差別を廃棄するばかりか、動物や自然一般の争いも終わらせるという論旨はまったく同じである。ニーチェはディオニュソス的魔力のもとになる陶酔境を、「春の衝動と麻酔性の飲み物」の作用だと記したが、これもバッハオーフェンの「葡萄酒と人間に及ぼす酒の力」という表現の変奏であることは明白だろう。
 誰の目にも明らかな類似は、決定稿となった『悲劇の誕生』では明瞭ではなくなる。第 1 節の後半部分はいわば予備論文の大規模な変奏である。「例外的に 〈個体化の原理〉 が打ち壊されると、人間の、否、自然の最奥から歓喜あふれる恍惚感が湧き上がる。......麻酔性の飲み物や春の力強い訪れによって、あのディオニュソス的な興奮が目覚め、主観的なものは完全な自己忘却に至る。......ディオニュソス的な力に捉えられた群衆の乱舞はバビロンにまで遡り、狂躁乱舞するサカイア人の祭りにたどり着く。......今や奴隷は自由人である。」このような変奏の中でベートーヴェンの第 9 交響曲の「歓喜に寄す」が引用され、元のバッハオーフェンとベートーヴェン=シラーの「歓喜に寄す」のフレーズがいわば渾然一体となって、ディオニュソス的魔力の本質が描き出された。
 さらにディオニュソス的なものと一対をなすアポロン的なものも、バッハオーフェンは詳述している。ニーチェはディオニュソスが支配する本質、闇の領域と、アポロンが支配する仮象、光の領域を空間的な対比として提示したが、バッハオーフェンはディオニュソス的な母性原理の世界と、アポロン的な父性原理の世界を時間的、歴史的流れの中に位置づけた。バッハオーフェンの見方によれば、ディオニュソスとアポロンを区別する決定的要因は、物質性=女性的性質の有無だった。「アポロンは光の本性によって、元々拠り所としていた大地的基盤を背後に追いやった。......かくしてアポロンは物質性を脱して、形而上的な非肉体性を帯びるに至った。ディオニュソスは本質的に生殖的、物質的でありながら、太陽力でもあり続けた。......葡萄酒は火と水を結合させるディオニュソスの力の至高の発現である。」バッハオーフェンが定義するディオニュソスは両性具有の「生殖神」であり、一方のアポロンはエロス的原理を超越した「無性の」太陽神だった。両者の対比の根底にはエロス性の有無があって、ニーチェにはエロス性の有無から両者を比較する観点はなかった。ニーチェは両者の比較においては、ワーグナーが『ベートーヴェン』で提起した「音楽の精神」=ディオニュソスと「造形芸術の精神」=アポロンを採用した。
 以上のようなニーチェの手法は、ワーグナーやバッハオーフェンの引用とはとても言い難い。しかしあからさまな盗用ともいえない。強いていえば「受容」というほかない。ニーチェはこの「受容」という手法において、天才的なわざを披瀝したのであり、マンフレート・エーガーはニーチェを「受容の天才」と名付けた。
 ニーチェはバッハオーフェンと家族ぐるみの交流があったが、バッハオーフェンは29歳も年長だったのに対し、若妻のルイーゼは逆に 1 歳年下であり、彼女とはピアノの連弾に興じたり、コンサートにもいっしょに出かけた。ルイーゼはニーチェについて以下のように回想している。「私の夫はニーチェに好感を抱いていたし、私はニーチェが夫を心から尊敬していたことを知っている。ニーチェはしばしばそのことを私に告げた。その頃に『悲劇の誕生』が公刊されて、夫は本書に魅了され、ニーチェの将来を嘱望していた。」 ルイーゼは夫のバッハオーフェンが自著から『悲劇の誕生』で盗用まがいのことをされたことを非難するどころか、ニーチェに賛辞をおくり、将来を嘱望していたことを報告している。バッハオーフェンはニーチェの盗用まがいのわざに気づかなかったはずがないが、まったく問題視しなかった。
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