泥沼通信

祭りの戦士 @ กลับมาจากกรุงเทพฯ

 

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資本主義の黄昏清兵衛さんこんにちわは、ってなんのこっちゃ!

 おやおや? ちょっと見ない間に内田樹先生また問題発言なさってるぞ。

 これ とか これ とか。まだきちんと読んでないからつっこめないんだけど、『サラリーマンがその労働の対価として不当に安い給料で働くことは、それ自体が根源的なしかたで「人間的」なふるまいなのである。』なんていうのを読むとザワザワと心が波立ってくるぞ。いやきっとこれは逆説的な真理としてお書きになってるに違いない。ぱっと読んだだけで判断しちゃだめだ。しかし『自己を供物として捧げる』なんて言葉は僕も使ったことがあるので、それだけに責任を感じるっていうか、虫の知らせというか、なんかイヤ〜な予感がするのだ。
 とりあえず今は先にやらなきゃならないことがある。トラックバックに返事を書かなければ………。kagamiさんと、sivadさんと、bluedeさんが、後者について批判してくれているようなので、今日のところは溜飲を下げ落ち着いて自分の仕事に集中しよう。

(原作たそがれ清兵衛さん、もし読んでたらすいません。いいタイトルが思い浮かばなかったのでつい……。)

Comments
 
先は失礼致しました(^^;善悪の彼岸以降読んでいるというのは、凄いです。ニーチェはいきなりツァラトゥストラとか読んでも訳分からない部分が多いので、そういった豊かな読書はより豊かな土壌になると思います。アンチクリストはキリスト教を「会社」や「権威」に読み替えて読むと、まさに現代日本に…。
 
内田樹氏と云うのはまさにニーチェが云うところの「僧侶」そのものなんですね…。前者のエントリは完全に「神に全てを捧げよ」タイプの僧侶言説です。内田樹氏の思考を理解するには、ニーチェのアンチ・クリストを読まれることをお勧めしますよ〜。つい先日、現代語訳版が出版されましたが、とてつもなく読みやすく分かりやすく書かれており、お勧めです。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4062723123/
 
kagami さん、どうもです。
晩年のニーチェはけっこう愛読してますよ。『善悪の彼岸』から『この人を見よ』までは一通り読んでます。
内田さんの書いたものを読むと、いつもぬ〜っと背中を触れられるような感じがありますが、そういえばそれって「僧侶」っぽいような気がしますねえ。
 
荒井さん、僕呼びました?
私は、さっさと面倒くさい会社辞めたい!、もっとさらに面倒くさい相場やめたい!! っていう「荒井さんと同年の「オヤジ」」であります。
それなら、どうやってメシ食うのって聞くでしょう。 聞いてないって?
それでも無い頭で考えた秘策を公開します。
女子高生の家庭教師をします!!!
中年の主張。
万国の中年のオヤジ達よ。みんな仕事なんかさっさとやめて、本をがんがん読もうぜ!! 
 
わあ! 原作たそがれ清兵衛さん、ようこそ、いらっしゃい。
それにしても登場早々の爆弾発言ですね。この転職宣言はマジですか? それとも冗談? しかも家庭教師はいいとしても女子高生専門ってことですかコレ?
でもホント、仕事なんてやめて本を読んでいられたら、って思いますよね。働いてるうちに人生終わっちゃったらきっと悔やんでも悔やみきれないですよ(笑)。
 
単なる願望です。もしかしたら妄想かもしれません。
でも、それなりのプランはありますし、進めている「つもり」です。
で、家庭教師先については、願望、妄想の類ではなく「欲望」かもしれませんね。
でも、家庭教師先で、「過剰の蕩尽」なんかまさかやったりしませんから。(笑)
サラリーマンが搾取されるされないの話は時代とともに難しくなってきましたね。
なんか、大企業のサラリーマンなんか、下請会社の社長さんを搾取してるんじゃないかって思うし、また先進国のサラリーマンは、結構途上国の人を搾取して、メシ食っているのでしょうね。多分。
はやしさんのところで一度書きましたが、1980年代に初めて登場した「国際」「金融」資本主義によって、ますます訳が分からなくなってきている。
サラリーマンの老後の生活の為に存在する年金基金が、結構会社の株を沢山もっていて、その経営層に、いちゃもんつけて、自らの利益の最大化をはかったりで。
時々勘違いされるのですが、実は「相場」はやむを得ない事情があってやっています。
「相場師」なる職業について、これはパチプロ、競馬師と価値はかわらないし、ほとんどソープ嬢並で、これより下の仕事は、やーさん くらいしかないなって思っています。
で、そう言ってしまうものだから結構相場する人にはネット上で嫌われてきました。
「相場師の精神修養は、剣客のそれと同じです」って、書いている人がいて、「そうですね。どちらも単なる人殺しですから」って書いて嫌がられたことがあります。
「はやしさん」のところで書き始める前は、どの程度のレベルで専業相場師が専業で相場しているかの実態調査の為に、結構専業の人や、ついでに兼業で結構有名な人と議論をやってきましたが、全く私が人として得ることが無い人が多すぎるので、もうやめました。
これほど、相場師をアホ扱いしている相場のオッサンって、僕以外にいないでしょうね。
あまりちゃんと内田さんの話しは読んでいないので、偉そうなことを言うのは僭越かもしれませんが、なんか内田さんって、ほとんど言っていることが「相場師の精神修養は、剣客のそれと同じです」って言っている人と、そのロジックの構成がたいしてかわらないのでは?って、フツーの感覚しか持ち合わせない私には、そう思ってしまいます。
 
家庭教師先で、「過剰の蕩尽」ってのは面白いなあ。労働中であるにもかかわらず連続性を追求するってことですか? これは禁止の侵犯の要素が強いだけに興奮しそうですよ(笑)。
まあ、職業なんて突き詰めて考えればみんなヤクザなものですよ。私の5月17日のエントリーを読んでくれればわかると思いますが、これだけ映像産業をコケにしてる映像関係者も珍しいでしょう? おまけにそんなこと書いたせいでコメント欄で後輩につっこまれてますし。まったく私も原作たそがれ清兵衛と同じことしてますよ。
で、内田さんなんですけど、実際に武道やってらっしゃるみたいですから、あながち原作たそがれ清兵衛の勘は正しいかもしれません。(んなことないか。)それにしても読めば読むほど不気味な文章に思えてくるんですよ……内田さんの文章って。
 
内田さんって、まず結論ありきで、後付けでロジックをパッチワーク的にかき集めているという感じがしますね。だいたい、肉体を不必要なまでに鍛える人って、精神>肉体 でないと気が済まない人が多いみたいですしね。要は、自分の精神の命令通りに隷属的に肉体が動かないと気が済まないみたいなんですね。肉体が精神の命令通りに動くのを見て、(私にはサディズムにしか思えない)全能感を味わうらしいです。最もニーチェが嫌ったタイプの人だと思いますね。単なる推測だけで書いているので、口が過ぎたかもしれませんが・・・。
 
まず論理があってそれが身体を貫いてるってのが本当ですよね、きっと。肉体を鍛えてた文化人て言うと、三島由紀夫なんかを思い出しますけど、詳しく知らないですが、なんかつらそうだなあっていうか、この人も中身がなかったんじゃないかって気はしますね。
 
ここんとこかなりひどいですね、ウチダ先生。
文学と合気道の話でもしていればいいのに、下手に社会問題を語ろうとするからボロが出ちゃうんですよね。
 
sivadさん、こんにちは。
ひょっとすると、先生は私たちを挑発なさってるのかもしれませんよ……教育者として。………また乗ってみましょうか(笑)。
 
すでに乗っちゃってます・・・w
 
あ、本当だ。………資本家の思考そのものか………。なるほど。
不思議なのは、「資本主義の暴走」に待ったをかける、なんていいながら滅私奉公を勧めてるウチダ先生の姿勢ですね。どうしてこうなるかあ〜。
 
araikenさん、はじめまして。TBありがとうございます。
内田センセイのこのエントリー、最初に見たとき、私もネタなのか挑発なのか本気なのか判断に迷いましたけど、・・・納得してる人が相当にいたので・・・( ̄o ̄;;)・・・敢えて乗らせていただきました。
少なくとも私は、過剰労働のススメ・労働以外の時間(読書や思索、子育て・家庭への貢献etc)の剥奪が国民の余裕の無さ・思考停止をさらに招きやすく、「資本主義の暴走」を止めるにはまず、時間・余裕を与えることによって思考停止を覆す必要があると思うんですけどね・・・。
 
僕は内田さんが今回挙げているレヴィ・ストロースをそれほど読んでないし、
この文脈の核となっているであろうモースの「贈与論」も読んでいないのですが、
そうでなくても、ロジックの形式的なレベルでおかしいなぁと感じます。中学生でも「なんかおかしいぞ?」思うような。
?労働とは「贈与」であり、交換可能性を超えたものである。?ニートを支えている家族の行動も贈与的なものである。
?ニートは労働に意味を求めるから、贈与的な労働をしない。ここまでは(賛否は兎も角)話としては理解できます。
けれども、?ニートは?の親の贈与によって生きている。それはやらずぼったくりである。これはおかしい。
というのは、贈与に「見返り」を求めるのだから、端的に言って?の「贈与」の概念に反するのではないでしょうか。
?の論理からすれば、ニートが親の贈与で生きていても、それは交換可能性を超えているのだから、
別に問題は発生しないでしょう。プレゼントをもらったからといってプレゼントを「返すべき」だと主張するのは贈与の
論理ではないはずです。返したい人は返して、返したくない人は返さない。それが贈与の論理ではないのでしょうか?
 
すこっとさん、はじめまして。
私もモースやレヴィ・ストロースを読んだことがありません。だから贈与と交換について語る自信がないのですが、つまり、見返りを求めないはずの贈与について語っていたはずの内田さんは、親子関係を語るときにいつの間にか等価交換の論理で語り始めてるってことですよね。それでニートがやらずぼったくりになってしまったと。
昔、ニートは親や国に恩を返さない、なんて言ってる人を批判したことがあるんですけど、ひょっとしてこの内田さんも同じレベルの人なのかな? やはりもう一度きちんと読んでしっかり批判しなければならないかな?
 
>ひょっとしてこの内田さんも同じレベルの人なのかな? 
>やはりもう一度きちんと読んでしっかり批判しなければならないかな?
他の人も言っているように、ネタとしてやっている可能性も高いんですけど、それを言い訳にして本音を言うタイプだという可能性もありますからね〜。ですから、ここは素朴に事実確認的に論理の不備を突くのが正道だと思います。、
勿論内田さんは「先生」ですから、その権威性により「バカモン!そんな浅薄な批判、先生は折り込み済みだ!もっと深読みせねば」というコンテクスト闘争が生じる可能性がありますが、それはそれで有意義な議論だと思いますので、まず最初に素朴に内田さんを批判するのも悪くないと思います。
 
ネタだとしたらすごいなあ(笑)。内田さんの本読んだことないからその辺判断つかないですねえ。
確かにおかしいと思うところをおかしいぞって指摘することは、自分がいろいろ考えるきっかけになりますからね。内田さんには失礼だけど、たたき台になってもらうっていうか………まあ、議論するって言うのはそもそもたたき台になり合うことですからね。
 
その辺の学生ならともかく、内田さんは言葉とコミュニケーションのプロなわけですから、真意なんかを汲む必要はないと思いますよ。書いてあること、書いてあることによって引き起こされることを吟味していけばいいだけです。
批判も織り込み済み、というのならこちらもじゃんじゃん批判すればいいわけです。
 
> sivad さん
なるほど、そうですね。そんなわけでもありまして、これから内田批判を繰り広げるつもりです。 何か気になることがありましたら sivad さんもドシドシ書き込みをお願いします。また sivad さん自身の新しいエントリーにも期待してます。

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荒井賢 (Ken Arai)

 住所 埼玉県越谷市
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 職業 アニメーション背景制作
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