泥沼通信

祭りの戦士 @ กลับมาจากกรุงเทพฯ

 

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『モダニズムと形式からの後退』というマーティン・ジェイのエッセイを

、、、興味深く読んだ。

モダニズムと形式からの後退 マーティン・ジェイ

 バタイユの「無形」とか「不定形」とか訳されている、「生きられる文化」のエッセンスを表現したコンセプトと、モダニズム芸術におけるフォーマリズム(形式主義)の拮抗した関係を明らかにしようとしている。最後に名前が出て来るペーター・ビュルガーのアヴァンギャルド論をフランス思想で補強したような内容だが、困ったことに混乱した見通しもビュルガーと共有してしまっている。それもこれもマーティン・ジェイさんがビュルガー同様、「モダニズム」という権力由来の法螺話に結局は乗っかっちゃってるところに問題があるのだ。
 グリーンバーグやアドルノなどの典型的なモダニズム(モデルネ)論の特徴のひとつは、モダンアートの形式主義的(フォーマリスティック)な面を強調するところにある。美術において印象派からキュビズムを経て抽象絵画に至る流れは、まさに形式の純化の過程であり、100年に渡るモダンアートのイノベーションの意味と目標を体現するものとして解釈された。ところがモダンアートにはそうした形式主義的解釈にそぐわない一面があり、そのせいで彼らのモダニズム論はモダンアートを説明する理論としていささか座りの悪いものになってしまった。特にダダ・シュルレアリスムなどの明らかに非フォーマリスティックな芸術運動を冷ややにスルーするというバツの悪い態度は、彼らのモダニズム論の限界を示していたといっていいだろう。
 ペーター・ビュルガーやアーサー・ダントーのような人たちはそうしたモダニズム論の弱点を克服し、より洗練されたモダニズム論を作り上げている。どちらも形式主義的解釈がスルーしたダダ・シュルレアリスム、ポップアートといった運動をむしろ中心に据えてモダンアート全体を説明する理論を作り上げ、グリーンバーグ的な形式主義的モダニズムは、そうしたモダンアート全体のひとつの契機として、その1段階、1エピソードとして理論の中に組み込まれることになった。
 マーティン・ジェイのこのエッセイも、ビュルガー流の改良版モダニズム論だと言っていいだろう。ビュルガーはブルジョワ芸術の個人主義の極限としてモダニズム的段階があって、それへのアンチテーゼとしてアヴァンギャルド(ダダ・シュルレアリスム)の生活実践という脱ブルジョワ芸術的段階が訪れた、という段階説でモダンアートの状況を説明した。一方、マーティン・ジェイはモダニズムの中に2つの面──形式主義的な面と、もうひとつ副次的傾向として反形式主義的衝動、すなわちバタイユが言うところの「無形( informe )」という面──が拮抗しつつ共存しているという図式を示している。
 そういえば若い頃読み漁っていた岡本太郎のアヴァンギャルド論には、モダンアートには静的、外的、合理主義的な流れ(セザンヌから抽象絵画への流れ)と、動的、内的、非合理主義的な流れ(ゴッホ、フォービズム、ダダ・シュルレアリスムへの流れ)があって、2つの傾向が絡み合い、反発し合いながら進展してきたのだ!、、、というようなことが書いてあったのを思い出す。マーティン・ジェイの図式のお陰で思わず過去にワープしてしまった。
 だが、何度も言ってきたことだが、モダニズム言説というものは、権力が私たちの疎外を乗り越える実験である反芸術運動を横領し、スペクタクルとして再編するために編み出された法螺話なのである。段階として、エピソードとしてであっても、理論の中にモダニズムが居場所を持った時点でもう感染済み、宿主となったモダンアートの理論は、より巧妙なスペクタクル装置として働き出すだろう。モダンアート=反芸術運動の中には、モダニズムの法螺話が説く形式主義的な還元や自己言及、自己検証なんてものは一切なかった、それらは枯れ尾花に過ぎなかったと言わなければならないのだ。
 したがってまず、モダンアートにはモダニズム=形式主義(フォーマリズム)的な面と、それに抗する「無形( informe )」の2つの面があるというマーティン・ジェイの構図が、端的におかしい。ありもしないもの(法螺話)に対して、抗するもなにもないであろう。いわゆるモダニズムの形式主義(フォーマリズム)とは、大雑把にまとめると、「内容」に対する外観の秩序(=形式)を重視する批評的立場のことであり、美術に関して言えば、描かれた内容や情緒(内面性・文学性)より素材面(色、形の秩序、物質性)などの外面的なあり方に注目して分析しようとするものである。私に言わせれば、モダンアートの流れの中にこうした形式主義的な還元への努力などまったくなかったし、存在しない形式主義に抗すること自体ナンセンスなのである
 マーティン・ジェイは微妙に勘違いしているようだが、バタイユの言うところの「無形( informe )」が抗しているのは、この「形式主義(フォーマリズム)」ではなくて、「形式化(formalization)」だと思う。これは「固定化」「規範化」に近い意味であり、低級唯物論者バタイユが批判する、イデアルな「理想化」「建築化」、悪く言って「硬直化」「形骸化」などの意味を含む概念である。さらに芸術論の概念というより、文化、政治を含んだ人間存在のあり方に関わる広い概念なので「形式主義(フォーマリズム)」の対立項としては釣り合わないのである。
 「形式化」対する「無形( informe )」とは、形式を侵犯、破壊するとともに新たな形象を形作るダイナミックなディオニュソス的原理のことであり、それは形象化以前のものであるがゆえに特定の形式を持たない( informe )というわけだろう。そして「無形( informe )」の原理が、理想化・永遠化した厳粛なる「公式文化」の空間を侵犯するとき、「無形( informe )」は理想化した美を踏みつけ、引きずり下ろし、笑いとばすもの(=「非公式文化」)として形象化するのである。これはまさにバフチンが説くところの「カーニヴァル」的なものに他ならない。
 私は常々19世紀後半からの反芸術の時代を、ブルジョワ社会の公式文化である「芸術」の場を「生きられる文化」が侵犯しカーニヴァル化したものとして理解すべきだと述べてきた。言い換えれば「無形( informe )」の原理が芸術の領域を侵犯した結果残された形象が、今日アヴァンギャルドとかモダニズムの芸術作品と言われているものなのだ。そしてモダニズム言説(法螺話)は、このように束の間乗っ取られた公式文化の空間を、ブルジョワ権力側が再領有(横領)しようとして放たれた矢であり、結果的にこの文化のレコンキスタは大成功を収めるに至ったのである。
 マーティン・ジェイはモダニズムの中には2つの面──形式主義的な衝動と、もうひとつ副次的傾向として反形式主義的衝動、すなわち「無形( informe )」という面──があるというのだが、実際にそこにあったのは「芸術(理想主義的でアカデミックな公式文化)」を侵犯する「無形( informe )」の原理の動きと、「無形( informe )」の侵入の結果生まれた成果(非公式文化=反芸術の作品群)を「芸術(公式文化)」の歴史の中に回収するためのモダニズム言説(解釈)との綱引きだったのであり、公式文化による非公式文化の横領・窃盗の現場であって、2つの傾向などと並べて論じれるものではないのである。
 形式主義(フォーマリズム)を一つの特徴とするモダニズム言説の法螺話が、法螺であるにも関わらずモダンアートの解釈を独占してしまったのには、芸術家たちが「無形( informe )」の衝動に突き動かされてやった自分たちの仕事(非芸術・非公式文化)を、結局のところ「芸術(公式文化)」であると意識していたこと、また公式文化のヒエラルキーの中に位置を占めたいという卓越への野心から自律できなかったという理由があった。20世紀の芸術家たちは自分たちの仕事がいかに芸術の歴史の中で意味のある、真剣で厳粛な試みであるか、自らモダニズム流の批評言語を使って饒舌に語るのだ。カンディンスキーもモンドリアンもマレーヴィチも何冊かの理論書ができるほど、絵画、美、芸術とはどうあるべきかについて問を重ねているのだ。しかし、そもそも彼らの抽象絵画は、古からの芸術の伝統や厳粛さを踏みにじるものでなくてなんだろうか。大胆にも丸や四角形だけをペタッと描いただけの絵、直線を縦横に並べただけの冗談のような絵(古典絵画のハチャメチャなパロディ)を、美術館という曲がりなりにも厳粛な公式文化の空間に並べたのだ。私には、彼らが大真面目な顔をしてカンバスの上に正方形を描きながら、自分の行っている茶番に笑いを噛み殺していたとしか思えない。こうしたカーヴァル的な「笑い」が背後に見え隠れしているからこそ、一見面白味のない形式主義(フォーマリズム)極致の抽象絵画に魅力を感じるのではないだろうか。
 こうした「笑い」を本質としたカーニヴァル的な非公式文化の試みを、モダニズム言説は求道者の修行の如きストイックかつ真剣で厳粛な営み(すなわち労働)であると解釈し直してしまった。その上、近代化とともに伝統的な文化は衰退し、技術の進歩がもたらした程度の低い複製文化(大衆文化)の蔓延する中、まさに形式化(形骸化)していたアカデミズムを刷新して近代的な美のあり方(モダニズム)を、「芸術(公式文化)」は自ら生み出したような顔をしているのだ。それは非公式文化の領域から横領したものであるにもかかわらず、だ。

「、、、生を解放するために、モダニズム芸術の── あるいはビュルガーの言葉では、アヴァンギャルド芸術の──エネルギーを利用するという希望は、つまるところ、それほど空しいものではないだろう。」


 これがマーティン・ジェイの小論の締めの言葉だが、いわゆる「モダニズム芸術」がエネルギッシュであるのは「生=無形( informe )の衝動」を横領したからなのであって、「生を解放するために、モダニズム芸術のエネルギーを利用する」などという言い方には、盗っ人猛々しいにも程があると言わねばならないだろう。

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大衆文化の批判と擁護

 アドルノの軽音楽批判というのがあって、これが「啓蒙の弁証法」あたりに共感を寄せる左系の人々にも評判が悪い。資本憎しのアドルノにとって資本の息のかかった軽音楽(大衆文化)は、彼が深窓の乙女のごとく持ち上げるモデルネの自律芸術と較べると、まるで汚れた売女のような扱いだ。

音の氾濫、反乱の音 ── 大衆音楽の両義性 小倉利丸

曰く、そうした軽音楽は、大衆に「無軌道な熱狂状態」と「規格化」をもたらすものだと頭ごなしに批判されるし、そのときアドルノの頭に浮かんでいるだろう大衆像はそうした文化装置に操作されるだけの愚民の集まりになってしまっている。
 小倉利丸氏はロックがお好きなようだが、左翼の知識人の中にもジャズやヒップホップ、あるいは文化産業の花形である映画のファンはいっぱいいて、こうしたアドルノの鼻持ちならない上から目線ってどうよ、という話になるわけだ。
 私個人の話をすれば、どういうわけかロックにも映画にもあまり興味を持たずに生きてきた。私が若い頃愛してきたのは、漫画、アニメ、SF、ロリコン、、、いわゆるオタク文化だった。ひょっとするとロックや映画を擁護する知識人たちも、オタク文化の幼児的なフェティシズムやメディアへの(無軌道な)没入に対しては顔をしかめるのではないだろうか。が、間違いなく私自身、オタク文化という大衆文化以上に汚れた売女たちの世話になって自己形成してきたのだ。

 それではアドルノの文化産業論は全くの誤りなのかというと、そういうわけではなくて、いわゆる消費社会批判の先駆けとして揺るぎない真実を描き出しているのである。ただそれは抽象的な理論図式として真実であるにしても、具体的な現実をアドルノが観ているかといえばそうは思えないのである。
 こうした理論図式の意義は、自明化した現実への没入状態にある私達を揺さぶり、現実から一歩引いた地点に立つことを可能にしてくれるところにある。当たり前に受け入れ楽しんでいるものが、私達を疎外の中に留め置くための仕掛けになっているのではないかと、鋭利で挑発的な理論の切先が覚醒を促してくれるのだ。
 しかしアドルノは、自分の理論図式を現実に押し当て、資本の息のかかった売女(大衆文化)は、結局システムを再生産するために働くしかないのだから、そこに抵抗や闘争を見出すことなどできるわけがないと決めつけているようにみえる。まず図式ありきで、売女が客の私に示してくれた優しい気遣いや微笑み、触れた唇の柔らかさなどに思いを巡らしてみることなど端から放棄されている。所詮金目当ての手練手管なんだろフフン、というわけである。

 アドルノの理論図式の誤りを指摘するのは多分難しくないだろう。彼の持ち上げる芸術(高級文化)も、軽蔑する大衆文化(低級文化)も、本質的にはどちらも権力に奉仕するスペクタクル(卓越の文化)であるという意味では大差はないのだが、彼は反芸術運動(モデルネ芸術)を観て芸術の領域に希望を持ってしまった。自律芸術という、瀟洒な洋館の窓辺に佇む乙女だけが暗い彼の心を救う天使になったのだ。本来、反芸術は文字通り芸術(卓越の文化)に反する、芸術ではない文化(生きられる文化)なのだが、その点を取り違えてドイツ人が発明した芸術というサブシステムの(メインシステム=権力からの)自律という物語に乗っかって、ブルジョワ権力(資本)の魔の手から乙女の純潔(芸術=高級文化の領域)を守らなければならないと勘違いしてしまったのだと、私は邪推している。
 だが自律すべきは芸術という領域ではなくて、私達一人ひとりの生であろう。反芸術運動とは、たまたま19世紀後半からの100年のあいだ、芸術(卓越の文化)の領域を、疎外からの生の自律の試み(生きられる文化)が流用し、乗っ取ったものであって、そうした乗っ取りは社会システムのあらゆる領域で展開可能なものである。かつては祝祭やカーニヴァルのような形で、生きられる文化は大規模に組織されていたが、近代化とともにすでにそれは散り散りになってゲリラ的に生き延びることになり、19世紀中頃から芸術の領域にも侵入してきたのである。
 アドルノが資本の手に掛かった売女と見なしているであろう大衆文化の中にも当然、疎外からの生の自律の試み(生きられる文化)は侵入している。厳しい制約の下、意識的無意識的に試みは続けられ、時には制約を突破して祝祭らしきものが噴出することもあるだろう。アドルノならそれを「無軌道な熱狂状態」と罵るかもしれないが、そもそも生きられる文化特有のエモーションの侵入がなかったなら、人は大衆文化において熱狂状態に陥ることもないのではないか。大衆文化であろうと、ナチのプロパガンダ芸術であろうと、社会主義リアリズムであろうと、単なる大衆操作ではなく、疎外を越えようとする試みが何らかの形で侵入しているからこそ、人を惹きつけることができると考えるべきではないだろうか。金で買ったはずの売女が単にアバズレ女ではなく、どこにでもいる普通の女なんだと気がついて、心を震わせながらまた娼館に上がる男は、商品化した性の消費に取り憑かれた愚かな大衆でしかないと言い切れるものだろうか。
 つまりアドルノが大衆操作を見ている局面で実際に起きているのは、大衆の自律の試みと、権力との間の闘争なのである。なるほど資本主義の精神は制度やモノの中に物象化し、もはやシステムとその疎外は確実に再生産されびくとも動かぬ鉄板なものに思えるが、逆に物象化させる人間の意識の支えがなかったらシステム全体が浮いたものになり、簡単に崩壊しうるものでもある。だからこそ資本の側も必死に関係性全体を正統化する闘いを絶えず強いられているし、大衆(プロレタリア、マルチチュードと言ってもいいが)も資本と絶えざる自律への駆け引きをおこなっているのだが、アドルノの抽象的で透明な理論図式からは、こうしたダイナミズムへの視線は感じられない。むしろ操作されるだけの大衆への苛立ちや軽蔑がちらついているようにすら見える。アドルノのペシミスティックな論調というのは知的良心から出てきたものではなく、おそらくこういった偏見に基づいていているのではないだろうか。

 もちろん私はアドルノ同様に大衆文化というフレームを厳しく批判する立場にある。ただしアドルノと違うのは(モデルネ)芸術をも同時に批判するというところだ。というのもどちらも卓越の文化(権力に奉仕するスペクタクル)という疎外された関係性の文化だからである。客となって薄暗い娼館の一室のベッドに腰掛け、手を取り寄り添いながら束の間の会話を楽しむだけが、彼女との関係の全てではないように、卓越の文化の演者/観客の関係性とは異なる、生きられる文化の関係性を実現させたいと思うからだ。が、それはアドルノが結果的に陥ってしまっている偏見、彼がお気に入りの新ウィーン楽派(芸術)を持ち上げ、高度に商品化している軽音楽(大衆文化)を蔑むという偏見、深窓の純潔なる乙女を崇拝し、売女を軽蔑することとは全く別のことである。

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疎外論における演劇のメタファー

「カー二ヴァルには演技者と観客の区別はない。カー二ヴァルには、たとえ未発達の形式においてですらフットライトなるものは存在しない。フットライトがあれば、カー二ヴァルはぶちこわしになろう(逆に、フットライトをなくせば、演劇的見世物はぶちこわしになろう)。カー二ヴァルは観るものではなく、そのなかで生きるものであって、すべてのひとが生きている。というのも、 カー二ヴァルはその理念からして、全民衆的なものだからである。カー二ヴァルがおこなわれているあいだは、誰にとってもカー二ヴァル以外の生活は存在しない。」


 、、、というバフチンの言葉を何度か紹介しているが、この演者と観客を二分する「フットライト」の比喩で問題にしているのは演劇(芸術)論ではない。演劇(芸術)のメタファーで語られた疎外論である。
 もうひとつ、ドゥボールのスペクタクル批判も受動的な「観客」という言い回しを使っているが、これも演劇(芸術)論ではなくて疎外論である。シチュアシオニストの活動が、ダダ・シュルレアリスムなどの前衛芸術運動を先鋭化/換骨奪胎したものであることや、都市空間をデコール(舞台)と見なし状況への介入を企てるという演劇のメタファーを使ったマニフェストをそのまま演劇論として受け取るなら、(多くの知識人が勘違いしているように)シチュアシオニストを政治的な問題意識を持ったフルクサス的な前衛芸術(パフォーマンス、ハプニング)集団と誤解してしまうのもわからないでもない。

『解放された観客』 ジャック・ランシエール

 今のところランシエールの書いたものはこれぐらいしか読んでいないのだが、共感半分、疑問半分という印象を抱いている。この文章は、今日話題の参加型アートのような、演者と観客の間の距離を消し去り、観客を創造・表現活動に巻き込む演劇/芸術の批判をするのだが、ランシエールの著書『無知な教師』で展開した公教育の教師を批判するスキームで、芸術家(演者)のパフォーマンスの意味を暴露するものである。ランシエールの公教育批判は、教師が生徒を無知なものであることを捏造(愚鈍化)することで、システムの中で生徒より卓越した教師としての地位を得るという詐術と、その捏造がシステムとその中での地位(ヒエラルキー)を再生産するカラクリを喝破し、知性の平等とは何かを示すことにある。
 つまりこれは教育の疎外のメカニズムの暴露なのである。このスキームを用いてランシエールは演者と観客の間の距離を消し去る形の芸術パフォーマンス(例えばブリオーの「関係性の美学」とか)を批判するわけである。このスキームを芸術の領域にそのまま当てはめれば、芸術家(演者)は、そのパフォーマンスに触れる者を観客化(受動的な)することで、(はじめて)芸術のシステムの中である卓越した演者(能動的な表現者)という地位を得る(芸術家になる)、というカラクリが浮かび上がってくるだろう。
 ランシエールのスキームは、文化の疎外を暴露し、文化の平等(自律)とは何かということを示してくれるはずである。が、どうもすっきりしないのは、ランシエールのこのテクストにはドゥボールのスペクタクル批判の断章が、演者と観客の間の距離を消し去るタイプの演劇(ここではアルトーの残酷劇が話題に登っている)の本質を裏書きするものとして引用されていることである。
 すなわちスペクタクルに見入る(受動的な)観客というドゥボールの(演劇のメタファーで語られた)疎外論が、(能動的な)演者と(受動的な)観客の間の距離を消し去る形の芸術の本質(=演劇論)とアレゴリカルに重ね合わされているのである。ランシエールは演劇(芸術)論と、(演劇のメタファーを用いた)疎外論を混同し同一視するという誤りを犯しているのだ。
 はっきりとは言及されていないもののこの理屈によると、スペクタクル批判と表裏一体のシチュアシオニストの実践は、一種の前衛演劇(芸術)だという理解に落とし込まれてしまうだろう。シチュアシオニストは自分たちの活動が「芸術」ではないと主張し続けていたにもかかわらずだ。
 演劇(芸術)論における能動性は、フットライトで仕切られたステージ上の「演者」に付与されているが、(演劇のメタファーで語られた)疎外論において「演者(=芸術家)」は、スペクタクルに見入る(=支配的システムのヒエラルキーのなかで地位を得ようとしている)ものであり、その限りでむしろ(疎外された)受動的な存在、である。つまり「演者(=芸術家)」そのものがまず「観客」なのだ。
 演劇(芸術)論における能動的な「演者」は、(受動的な)「観客」との距離を消去し、すべての人間が能動的でクリエイティブな「演者」になるべきだ(万人が芸術家であれ!)と言うだろうが、疎外論における能動性は、演者/観客という疎外された(上下関係)二項への分離そのものの消去を、演者(=芸術家)でも観客でもない何かになることを要請するだろう。
 参加型アート、、、例えば古くはヨゼフ・ボイス(この人はよく、万人が芸術家であれ!と言っていた)、最近ではブリオーの持ち上げているリクリット・ティラバーニャ(インド系の名前かと思ってたら、なんとタイ人アーティスト! 正確にはฤกษ์ฤทธิ์ ตีระวนิช­=リクリッ・ティーラワニッ だな。)、熊倉敬聡が紹介している「アートレス」だとか「ワークショップ」などは明らかに演劇論的な受動性の消去を目指す試みである。ここで創造に参加することになる人々は、一時的にプチ演者(プチアーティスト)になる(される)が、そのことは疎外からの自律、文化の平等につながっているとは思えない。むしろ「観客」との距離を消去する実践がヨゼフ・ボイスやリクリット・ティラバーニャという個人のアーティストの芸術の世界(アートワールド)における地位を高めるほうに働いてしまっている。結果的にそれは非常に巧妙なスペクタクルになってしまっているのだ。
 それに対してシチュアシオニストのスペクタクル批判とは、演者として卓越することではない。

非一介入というスペクタクルの原理そのものが、古い世界の疎外といかに深く結び付いているかは容易に見てとれる。それとは逆に、文化における革命的探求のなかで最も価値あるものが、スペクタクルの観客のヒーローへの心理的同一化を破壊し、自分の生を一変させる能力を引き出すことによって、その観客を積極的な行動に引きずり込むようにどれほど努めてきたかもよく知られている。状況とは、したがって、それを構築する者たちによって生きられるために作られるものである。そこでは、受動的とは言わないまでも少なくとも単に端役的なだけの「公衆(=観客)」役割は、常に減少することになる一方で、もはや演者ではなく、言葉の新しい意味において「生きる者」と呼ばれる者の関与するところが増大する。


 観客でも演者でもないもの、、、「生きる者」になるのである。万人によって生きられる文化、それをバフチンは「カーニヴァル」と言っていた。たぶんランシエールは良心的で頭のいい思想家なんだろうが、平等のイメージがどこか貧困なのではないだろうか。文化の平等、疎外からの自律のイメージはバフチンの描く「カーニヴァル」を参照すべきなのだ。バフチンのような豊かなイメージを持っていれば、上のドゥボールの言葉を演劇論と勘違いしたりはしないだろう。私には、シチュアシオニストたちがまさに「無知な教師」に思えてならないのだが、どうなのだろう。


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คืนข้ามปี(年越しの夜) - ดา เอ็นโดรฟิน



年越しの夜、一緒に過ごす特別な人が欲しい、、、という歌詞の名曲。でもこんな美人をタイの男が放っておくわけないよな。

良いお年を、、、

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バフチン 中世の公式な祭日

中世の公式な祭日── 教会の祭りも封建国家の祭りも── は現存する世界秩序から外へは導かず、いささかも第二の生活を創り出すことはなかった。反対に、現存する機構を聖なるものとして裁可し、機構を強化したのである。〈時〉とのつながりも形式的なものとなり、交替や危機は過去へ運び去られてしまった。公式の祝祭は実際は後ろの過去のみを見ており、この過去を使って、現に存在する機構を神聖なものとしたのである。公式の祝祭は、時には祝祭自身のイデーに反して、すべての現存する世界秩序── 現在の階層秩序(ヒエラルヒー)、現存の宗教的・政治的・道徳的規範、禁止(タブー)── の安定性、不変性、永遠性を確認することさえあった。祝祭は、永遠で不変の、論議の余地なきものとして立ち現われた、既成の支配的な真理の勝利であった。そのため、公式の祝祭のトーンは一枚の岩からできているような厳粛でしかなかった。笑いの原理はその本性には異質のものなのであった。正にこのために、公式の祝祭は、人間の祝祭性の真の本性に背きそれをゆがめたのである。しかし、この正真正銘の祝祭性は根絶やしにはできなかった。それゆえに真の祝祭性は容認され、祝祭の公式な面以外の場所では部分的に合法とされ、この真の祝祭に民衆の広場が譲り渡されることとなった。
ミハイル・バフチン 『フランソワ・ラブレーの作品と中世ルネサンスの民衆文化』



バフチンによる公式文化についての記述は、スペクタクルの特徴の解説になっている。今日の公式文化である「芸術」においてもこの厳粛さという特徴は揺いでいない。19世紀中盤から現れた「反芸術」運動は、非公式的な笑いの原理をその本質としていたのだが、権力による解釈(モダニズム)はそれをストイックで厳粛なものとして描き直した。現代芸術評論の難解な言い回しは芸術の営みがとにかく求道者の修行のように真面目で真剣なものであることを示そうとしている。芸術家自身も難しい顔をしながら自分の仕事を、権力由来の概念で理論武装することに余念がない。カンディンスキーやモンドリアンやマレービチの丸や四角だけを描いた幾何学的抽象なんて本来、芸術の厳粛さを文字通り笑いのめし踏みつける所業なのだが、その理論的背景を難しい言葉で長々と語るのだ。いまや髭をつけたモナリザすらモダニズム流解釈を施され、現に存在する機構を神聖なものにするために働かされ、モダニズムのストイックさに反抗して現れたポストモダニズムは、モダニズムが排した大衆文化や伝統文化やインモラルなイメージを大胆に取り入れたが、結局どこまで行っても厳粛なものにとどまっている。というのもそれらは卓越の文化であるからで、卓越、優越という事態そのものが階層秩序(ヒエラルヒー)と直結し、権力の視線を受け入れているからである。
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プロフィール

荒井賢 (Ken Arai)

 住所 埼玉県越谷市
 生年月日 1964年2月15日
 職業 アニメーション背景制作
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